マタイの福音書 24:32-51, マタイの福音書 25:1-13 JCB

マタイの福音書 24:32-51

さあ、いちじくの木から教訓を学びなさい。いちじくの葉が出てくれば、夏は間近です。 同じように、このようなことが起こり始めたら、わたしはもう戸口まで来ているのです。 それらのことが全部起こってから、この時代は終わりになるのです。

天地は消え去りますが、わたしのことばは永遠に残ります。 しかし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天使ばかりか、神の子さえも知らないのです。ただ父だけがご存じです。

ちょうど、ノアの時代のように。当時の人々は洪水が襲う直前まで、宴会だ、結婚式だと陽気に楽しんでいました。 何もかも押し流されてしまうまで、洪水のことなど信じようとしなかったのです。わたしが来る時も、それと同じです。

その時、二人の人が畑で仕事をしていると、一人は天に上げられ、一人はあとに残されます。 家事をしている二人の女のうち、一人は天に上げられ、一人はその場に残されます。

主はいつ来られるかわからないのだから、いつ来られてもいいように準備をしていなさい。

寝ずの番をしていれば、どろぼうに入られることもありません。 同じように、日ごろの備えが万全であれば、わたしが何の前ぶれもなくやって来ても、少しも困ることはないはずです。

主人の賢い忠実な管理人とはだれでしょう。召使たちの食事の世話をし、家の中を管理する仕事をする人です。主人が帰って来た時、その仕事を忠実にやっているところを見られる人は幸いです。 主人はそのような忠実な人たちに、全財産を管理させます。

しかしもし、あなたがたが悪い召使で、『主人はまだ当分、帰って来ないだろう』と高をくくり、 仲間をいじめたり、宴会を開いて酒を飲んだりし始めたらどうでしょう。 主は何の前ぶれもなく、思いがけない時に帰って来て、この有様を見、 あなたがたを激しくむち打ち、偽善者たちと同じ目に会わせるでしょう。あなたがたは泣いて歯ぎしりするのです。

Read More of マタイの福音書 24

マタイの福音書 25:1-13

25

再び神の国のたとえ話

神の国は、ランプを持って花婿を迎えに出た、十人の娘(花嫁の付き添い)のようです。 そのうちの五人は賢く、ランプの油を十分用意していましたが、残りの五人は愚かで、うっかり忘れていました。

花婿の到着が遅れたので、みな横になり寝入ってしまいました。 真夜中ごろ、ようやく、『花婿のお着きー。迎えに出なさーい』と叫ぶ声がします。

娘たちは飛び起きると、めいめい自分のランプを整えました。その時、油を用意していなかった五人の娘は、ランプが今にも消えそうなので、ほかの五人に油を分けてほしいと頼みました。

『ごめんなさい。分けてあげるほどはありません。それよりもお店に行って、買ってきたほうがいいのではないかしら。』

こう言われて、あわてて買いに行っているうちに、花婿が到着しました。用意のできていた娘たちは、花婿といっしょに披露宴に行き、戸は閉じられました。

そのあとで、例の五人が帰って来て、『ご主人様、戸を開けてください!』と叫びました。

ところが主人は、『私はあなたがたを知りません』と答えました。

こんなことにならないために、目を覚まして、いつでもわたしを迎える準備をしていなさい。わたしが来るその日、その時が、いつかわからないのですから。

Read More of マタイの福音書 25