マタイの福音書 21:33-46, マタイの福音書 22:1-14 JCB

マタイの福音書 21:33-46

もう一つのたとえを話しましょう。ある農園主がぶどう園を造り、垣根を巡らし、見張りの塔を建てました。そして、収穫の何割かを取り分にするという約束で、農夫たちにぶどう園を貸し、自分は外国へ行って、そこに住んでいました。

さて、収穫の時期になったので、彼は自分の分を受け取ろうと、幾人かの代理人を送りました。 ところが農夫たちは、代理人たちに襲いかかり、袋だたきにするやら、石を投げつけるやらしたあげく、一人を殺してしまいました。

農園主はさらに多くの人を送りましたが、結果は同じことでした。 最後には、ついに息子を送ることにしました。息子なら、きっと敬ってくれるだろうと思ったからです。

ところが農夫たちは、その息子が来るのを見ると、『あれは、ぶどう園の跡取りだ。よし、あいつを片づけよう。そうすれば、ここは自分たちのものだ』と言って、 彼をぶどう園の外に引きずり出し、殺してしまいました。

さあ、農園主が帰って来た時、この農夫たちはどんな目に会うでしょうか。」

「もちろん農園主は、その悪者どもを情け容赦なく殺して、きちんと小作料を納めるほかの農夫たちに貸すに違いありません。」

「聖書にこう書いてあるのを、読んだことがないのですか。

『家を建てる者たちの捨てた石が、

なくてはならない土台石となった。

なんとすばらしいことか。

主は、なんと驚くべきことをなさる方か。』詩篇118・22―23

わたしが言いたいのは、こういうことです。神の国はあなたがたから取り上げられ、収穫の中から神に納める分をきちんと納める、ほかの人たちに与えられるのです。 また、この真理の石につまずく者は打ち砕かれ、この石が落ちてくると、粉みじんにされます。」

祭司長やパリサイ人たちは、このたとえ話を聞いて、その悪い農夫とは、実は自分たちのことなのだと気づきました。 それで、イエスを捕らえようと思いましたが、群衆がこわくて手出しができませんでした。群衆は、イエスを預言者だと認めていたからです。

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マタイの福音書 22:1-14

22

天の御国とはどのようなもの?

天の御国(神が支配される国、生き方)がどのようなものかを教えようと、イエスはまた幾つかのたとえ話をなさいました。

「たとえば天の御国は、王子のために盛大な結婚披露宴を準備した王のようなものです。 大ぜいの客が招待されました。宴会の準備がすっかり整ったので、王は使いを送り、招待客を呼びに行かせました。ところが、みな出席を断ってきたのです。 それで王は、もう一度別の使いをやり、こう言わせました。『何もかも用意ができました。肉も焼き始めています。おいでを待つばかりです。』

ところが、招待客はそれを気にかけず、ある者は農場へ、ある者は自分の店へと出かけて行きました。 そればかりか、中には王の使者に恥をかかせたり、なぐったり、殺してしまう者さえいました。

これを聞いて怒った王は、すぐさま軍兵を出動させ、人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払ってしまいました。 そして王は、『披露宴の準備はできたというのに、招いておいた者たちはそれにふさわしくなかった。 さあ、町へ行って、出会う者は片っぱしから、みな招くのだ』と命じました。

王の使者たちは、命令どおり、善人悪人の区別なく、だれでも招待しました。宴会場は客でいっぱいです。 ところが、王が客に会おうと出て来ると、用意しておいた婚礼の礼服を着ていない客が一人います。 『礼服もつけずに、どうしてここへ入って来たのか』と尋ねましたが、その男は何とも返事をしません。

それで王は、側近の者たちに命じました。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出しなさい。そこで泣いてくやしがるのだ。』 招待される人は多くても、選ばれる人は少ないのです。」

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