ルカの福音書 5:33-39, ルカの福音書 6:1-11 JCB

ルカの福音書 5:33-39

彼らも負けてはいません。今度は違った面から、詰め寄りました。「バプテスマのヨハネの弟子たちは、いつも断食して祈っている。パリサイ人の弟子たちも同様だ。なのに、あなたの弟子たちときたら、平気で飲み食いしている。そのわけを聞かせてもらいたい。」 イエスは言われました。「幸せな人が断食しますか。結婚披露宴で、花婿の招待客がお腹をすかせたままでいることがあるでしょうか。もちろん、ありえません。 しかし、花婿が彼らから引き離される日が来ます。その時こそ断食するのです。」

続いて、もう一つのたとえを話されました。「古い着物に継ぎを当てるのに、新しい着物から布切れを切り取る人がいるでしょうか。そんなことをしたら、新しい着物もだめになるし、古い着物も継ぎ目が破れて、結局どちらもだいなしです。 また、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる人がいるでしょうか。そんなことをしたら、古い皮袋は新しいぶどう酒の圧力で張り裂け、ぶどう酒もこぼれてしまいます。 新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるものです。 こうも言えます。だれでも古いぶどう酒を飲んだあとで、新しいぶどう酒を口にしたいとは思わないでしょう。『古い物は良い』と言われるとおりです。」

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ルカの福音書 6:1-11

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安息日の主であるイエス

ある安息日(神の定めた休息日)のことです。イエスと弟子たちは麦畑の中を歩いていました。弟子たちは歩きながら、麦の穂を摘んでは、手でもみ、殻を取って食べました。 パリサイ人たちが目ざとくそれを見つけ、非難しました。「どう見ても律法違反だ! 弟子たちのやっていることは、明らかに刈り入れではないか。安息日の労働はユダヤのおきてで禁じられているというのに。」 イエスは、お答えになりました。「聖書を読んだことがないのですか。ダビデ王とその家来たちが空腹になった時、どうしたでしょうか。 ダビデ王は神殿に入り、主に供えられた特別なパンを取って食べたではありませんか。これはおきてに反することでしたが、自分ばかりか、家来たちにも分けてやりました。」 また、こうも言われました。「わたしは安息日の主です。」

今度は別の安息日のことです。イエスは会堂で教えておられました。ちょうどそこに、右手の不自由な男が居合わせました。 安息日だというので、律法の専門家やパリサイ人たちは、イエスがこの男を治すかどうか、様子をうかがっていました。何とかしてイエスを訴える口実を見つけようと必死だったのです。 彼らの魂胆を見抜いたイエスは、その男に、「さあ、みんなの真ん中に立ちなさい」とお命じになりました。男が言われたとおりにすると、 イエスはパリサイ人たちに、「ひとつ聞きたいのですが、安息日に良いことをするのと悪いことをするのと、どちらが正しいでしょうか。人のいのちを救うのと、いのちを奪うのと、どちらが正しいでしょうか」とお尋ねになりました。 それから、会衆をぐるりと見回し、男に、「さあ、手を伸ばしなさい」と言われました。男がそのとおりにすると、なんと彼の右手はすっかり治っていました。 これを見たパリサイ人たちはすっかり逆上し、イエスを殺そうとたくらみ始めました。

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