レビ記 25:1-55, レビ記 26:1-13 JCB

レビ記 25:1-55

25

安息の年とヨベルの年

モーセがまだシナイ山にいる間に、主は次のような人々への指示を彼に与えました。「わたしが与えようとしている国に着いたら、七年に一度は土地を休ませなさい。 六年間は畑に種をまき、ぶどう園の手入れをして収穫を上げるがいい。 だが七年目は休耕して、主の前に土地を休ませなさい。種をまいたり、ぶどう園の手入れをしたりしてはならない。 手入れもしないのに自然に生えた実やぶどうを収穫するのも許されない。土地を休ませる年だからだ。 その年に育った実は収穫はできないが、必要な分だけなら、だれが取ってもかまわない。あなたがたはもちろん、使用人、奴隷、あなたのもとにいる外国人も含まれる。家畜や野生動物にも自由に食べさせなさい。

さらに五十年目を特別な年、ヨベルの年とする。 その年の全国民の罪を償う日に、ラッパを国中に高く鳴り響かせなさい。 五十年目は聖なる負債免除の年である。負債のある者は、公私の別なく負債はすべて帳消しにされる。また、人手に渡った財産も戻ってくる。

種まきも、刈り入れもしてはならない。なんと恵まれた年だろう。 聖なる五十年祭だ。その年は、野に自然に育ったものを食べなさい。

ヨベルの年には、だれもが元の財産を取り戻す。売ったものでも再び自分のものとなる。 だから、それまでの四十九年間に土地を売買する場合は、ヨベルの年までの年数によって公正な値段をつけなさい。残りの年数が長ければ値段は高くなり、短ければ安くなる。つまり、土地を返すまで何回収穫できるかによって値段を決めるのだ。

神を恐れなさい。不当に高い値段をつけてはならない。わたしは主である。約束の国で安全に暮らしたければ、わたしのおきてに従いなさい。 そうすれば豊作に恵まれ、不自由なく安全に暮らせる。 『七年目は作物を作れないのなら、いったい何を食べたらいいのか』と言うのか。 心配はいらない。六年目を豊作にし、たっぷり三年分の収穫を上げさせよう。

土地はわたしのものだから、それを永久に売り渡してはならない。あなたがたは任されている者にすぎないのだから。 土地を売るときは、いつでも買い戻せることを条件にしなければならない。 生活に困り、土地を手放さなければならなくなったときは、近親者が買い戻してかまわない。 そのとき買い戻す者がいなくても、金ができしだい、売った本人が、ヨベルの年までの収穫の回数に見合う値段でいつでも買い戻せる。買い主は代金を受け取り、土地を返さなければならない。 元の持ち主が買い戻せないときは、ヨベルの年まで買い主のものとなる。ヨベルの年になったら当然返さなければならない。

もし、城壁で囲まれた町の中にある家を売る場合は、一年間は買い戻す権利がある。 一年以内に買い戻せないときは、永久に新しい所有者のものとなる。ヨベルの年にも返す必要はない。 城壁で囲まれていない村にある家は、畑地と同じようにいつでも買い戻すことができ、ヨベルの年には元の持ち主に返される。

ただし、レビ人の町の家の場合は、城壁に囲まれた町であっても、レビ人はいつでも買い戻せるし、 ヨベルの年には彼らに返さなければならない。レビ人はほかの部族のように農地はもらえず、それぞれの町にある家と、その回りの畑しか持っていないからだ。 レビ人は、町の周囲の公用地を売ってはならない。そこは彼らの永久の所有地だからである。

同胞のイスラエル人が生活に困ったら、助ける責任がある。客として家に招き、 いっしょに住まわせなさい。神を恐れなさい。金を貸すなら無利子で貸しなさい。 決して利息を取ってはならない。必要なものは買い与えなさい。困っている人を利用して、もうけようとしてはならない。 わたしは、あなたがたをエジプトから救い出してカナンの地を与える、あなたがたの神、主である。

同胞のイスラエル人が生活に困って身売りしても、奴隷のように扱ってはならない。 使用人か客のように扱いなさい。その者が仕えるのはヨベルの年までだ。 その時が来れば、子どもたちといっしょに家族のところへ戻り、財産も取り戻せる。 わたしは、あなたがたをエジプトから救い出した神であり、あなたがたはみな、わたしのしもべである。奴隷のように売られることも、 手荒く扱われることもあってはならない。神を恐れなさい。

周辺の国の外国人なら、奴隷として買ってもかまわない。 また、イスラエル生まれの外国人の子どもも、奴隷として買うことができる。 生涯奴隷として使い、子孫に譲り渡してもよい。ただし、同胞のイスラエル人を、そのように扱ってはならない。

生活に困ったイスラエル人が、富裕な在留外国人やその家族に身売りした場合は、 兄弟か、おじか、いとこ、あるいは親せきの者ならだれにでも買い戻してもらえる。金ができれば、自分で自分を買い戻すこともできる。 自由の身となる代価は、ヨベルの年までの残りの年数によって決める。 まだかなり間があるときは、身売りした時に受け取った額を払いなさい。 何年もたってヨベルの年まで残り少なくなっている場合は、それに見合うだけ払えばよい。 イスラエル人が外国人に身売りした場合、買った外国人は、奴隷だからといって酷使してはならない。年ごとに雇われる使用人並みに扱いなさい。 たとえ買い戻せない場合でも、ヨベルの年がくれば子どもたちといっしょに自由の身となる。 イスラエル人は、わたしがこの手でエジプトから救い出した、わたしのしもべだからだ。

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レビ記 26:1-13

26

祝福とのろい

偶像を造ってはならない。彫像だろうが、石像だろうが、石の柱だろうが、偶像を拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからだ。 安息日の定めを守り、幕屋(神がイスラエルの民と会う聖所)を重んじなさい。わたしは主である。

わたしのおきてに従って歩むなら、 季節ごとに雨を降らせ、豊作をもたらす。麦の脱穀はぶどうの時期までかかり、ぶどうの取り入れは次の種まきの時まで続く。不自由なく安心して暮らせるだろう。 少しの心配もない平和な毎日を送ることができる。危険な野の獣はわたしが追い払おう。戦争で国土を荒らされることもない。 あなたがたは敵を追い払い、さんざん打ちのめす。 五人で百人を、百人で一万人を追い散らし、敵の息の根を完全に止める。 わたしは契約どおり、あなたがたを増やし、心にかける。 刈り入れ時がきても、まだ前の収穫が残っていて困るほどになるだろう。 わたしはあなたがたと共に住む。あなたがたを嫌ったりはしない。 共に歩み、あなたがたの神となる。そして、あなたがたはわたしの民となる。 わたしがあなたがたをエジプトから救い出し、奴隷の鎖を断ち切ったのだ。だから、胸を張って堂々と歩きなさい。

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