エゼキエル書 19:1-14, エゼキエル書 20:1-44 JCB

エゼキエル書 19:1-14

19

指導者たちへの哀歌

イスラエルの指導者たちのために哀歌を歌いなさい。

あなたの母はなんという女だろう。

まるで雌のライオンのようで、

子どももライオンの子のようだ。

そのうちの一頭(エホアハズ王)は

強いライオンに育ち、獲物を捕らえることを習い、

ついに人を食べるようになった。

そこで、諸国から狩人が集められ、

そのライオンを落とし穴で捕らえると、

鎖につないでエジプトへ連れて行った。

母ライオンであるイスラエルは、

その子への望みが絶たれたので、

残る子の中から別の一頭(エホヤキン王)を取り、

百獣の王となるように訓練した。

それで、このライオンは仲間の指導者となり、

獲物を捕らえることを習い、

やがて人を食べるようになった。

近隣の国々の宮殿を破壊し、町々を廃墟とし、

農地を荒らし回り、作物をだめにした。

この地の人はみな、そのうなり声を聞くと、

恐ろしさのあまり震え上がった。

それで、諸国の軍が四方から攻め上り、

彼を落とし穴に追い込んで捕らえた。

そして彼を檻に入れ、バビロン王の前に連れて行った。

彼は捕囚となり、その声は二度と

イスラエルの山々で聞かれなくなった。

あなたの母はまた、

水のほとりに植えられた

ぶどうの木のようだった。

豊かな水のおかげで葉も青々と茂っていた。

その一番強い枝が王の杖となった。

それは他のものから抜きんでて高く、

遠くからもすぐ目についた。

だが、そのぶどうの木も憤りで根こそぎ引き抜かれ、

地に投げ捨てられた。

枝は強い東風に折られて枯れ、実も焼かれてしまった。

今ぶどうの木は、

水のない乾ききった荒野に植えられている。

すでに内側から枯れ始め、

強そうな枝ぶりも見られない。

この悲しい預言は、すでに現実となっている。

もう、その実現をとどめることはできない。」

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エゼキエル書 20:1-44

20

粛清される反逆のイスラエル

エホヤキン王が捕らえ移されてから六年後の第五の月、イスラエルの長老たち数人が、主に伺いを立ててほしいと尋ねて来て、私の前に座っていました。 その時、主はこのようなことばを私に与えました。 「人の子よ、イスラエルの長老たちに、神である主はこう語ると言いなさい。よくも助けを求めに来られたものだ。わたしは決して語らない。 さあ、人の子よ、彼らをさばき、責めなさい。先祖の時代から今日まで、この国の人々が行ってきた、すべての罪を教えてやりなさい。 神はこう語ると告げるのだ。わたしがイスラエルを選び、エジプトでわたしが神であることを示した時、彼らとその子孫とにこう誓った。彼らをエジプトから連れ出し、彼らのために探しておいた、乳とみつが流れる最良の地に導くと。 それから、こう命じた。『すべての偶像を捨てよ。わたしこそ、おまえたちの神、主だ。エジプトの神々を拝んで身を汚すようなことをしてはならない。』

だが彼らは、わたしに背いて、いっこうに聞こうとしなかった。偶像を除くことも、エジプトの神々を捨てることもしなかった。それで、彼らがまだエジプトにいる時、わたしは彼らに怒りを注ごうと思った。

しかし結局、そうはしなかった。イスラエルの神は自分の民を守ることもできなかった、とエジプト人にあざ笑われることがないように、わたしの名誉を守ろうとしたからだ。それで、エジプト人の目の前で、わたしの民をエジプトから連れ出し、荒野へ導き入れたのだ。 そして、その荒野で、彼らにおきてを与えた。そのおきてを守ることによって、彼らが生きるためだった。わたしのおきてを守るなら、だれでも生きる。 わたしは彼らに安息日(毎週七日目の休息日)を与えた。それは彼らとわたしとの間で、彼らを選び分けて、ほんとうに神の民とするのは、このわたしであることを思い起こさせるしるしだった。

それなのに、イスラエルはわたしに逆らった。あの荒野で、わたしのおきてに従うことを拒んだのだ。わたしの定めを守るなら真のいのちが与えられるのに、それを守ろうとはしなかった。安息日も悪用した。それで、わたしは怒りを爆発させ、荒野で彼らを滅ぼしてしまおうと考えた。

しかし、わたしの名誉を守るために、またも思いとどまった。エジプトから彼らを連れ出すのを見ていた国々の民に、主は民を守ることができず滅ぼすことになってしまったと言わせないためだ。 そこでわたしは彼らに、一度は与えようと思った選ばれた地、乳とみつの流れる地に、彼らを導き入れないことにすると告げた。 わたしのおきてを鼻であしらい、わたしの願いを無視し、安息日を守らなかった報いだ。彼らの心は偶像に引き寄せられていたのだ。 それでも、わたしは彼らを惜しんで、荒野で滅ぼすことはしなかった。

わたしは彼らの子どもたちに警告した。『親と同じ罪を犯してはならない。偶像礼拝で身を汚すな。 わたしこそ、あなたがたの神である。わたしのおきてを守り、わたしの命令に従え。 安息日を特別な日として、身も心もきよく過ごすのだ。安息日は、わたしがあなたがたの神、主であることを思い起こさせるために、わたしたちの間に立てた契約のしるしなのだから。』

しかし、子どもたちもまた、わたしに逆らった。わたしのおきてを守るなら、正しく生きることができるのに、それを拒んだ。安息日も汚した。そこでわたしは言った。『もう限界だ。今すぐ、この荒野で、あなたがたに怒りを注ぎ出す。』 それでもなお、わたしは彼らを罰せずにおいた。エジプトから彼らを連れ出したわたしの力を見た国々の中で、わたしの名が傷つけられないためだ。 だが、彼らが荒野にいた時、はっきり言い渡した。わたしのおきてを守らず、それをあざ笑うかのように安息日を破り、父たちが拝んだ偶像を慕ったので、地の果てにまで彼らを散らす、と。 わたしは、彼らが愚かな習慣や教えを取り入れるのを見ても、好きなようにさせておいた。そんなものを守っても、いのちを得ることなどできない。 わたしは彼らに、自分のやっていることがどんなに恐ろしいことかを知らせ、また、わたしだけが神であることに気づいてほしいと思い、わたしが与えた非常に良いもので、彼らが自分の身を汚すのをそのままにさせた。彼らは、最初に生まれた子どもを偶像にささげて、焼き殺したのだ。

人の子よ、神である主がこう語ると、彼らに告げよ。あなたがたの先祖は、約束の地に導き入れられてからも、高い丘や木の下で、所かまわずいけにえをささげ、香をたいて、いつもわたしを裏切り、冒瀆してはばからなかった。彼らが神々にいけにえをささげた時、わたしの怒りは燃え上がった。事もあろうに、偶像に香をたき、ぶどう酒を注いだからだ。 そこで、『おまえたちがいけにえをささげに行く場所は何なのだ』と問いただした。それで、そこは今も、『いけにえの高台』と呼ばれている。

刷新される反逆のイスラエル

神、主は、知りたがっている。あなたがたも先祖のように身を汚し、偶像を拝み続けるつもりなのか。 現に今、偶像へのささげ物として幼児を焼き殺し、灰にしているのに、イスラエルよ、どうしてあなたがたの願いを聞いて、助けることができるだろうか。」

神である主は語ります。「わたしは生きている。いくら願っても、わたしは何も答えない。 いくら、回りの国々を見ならって木や石の偶像を拝もうとしても、それはできない。

わたしが鉄のこぶしを振り上げ、大きな怒りをこめて、おまえたちを治めるからだ。 憤りをこめた強い力で、散らされていた国々からあなたがたを連れ出し、 荒野にあるわたしの法廷に集め、そこであなたがたをさばく。あなたがたをエジプトから連れ出したあと、荒野でした時のように、反逆者を取り除く。 あなたがたを念入りに数え上げ、ほんの一握りの者だけをイスラエルに戻す。 残る大部分の者は、わたしに反逆して罪を犯しているので、みなの間から取り除く。彼らは捕らえられている国から連れ出されるが、イスラエルには入れない。このとおりのことが起こる時、あなたがたは、わたしが神であることを知るようになる。」

ああ、イスラエルよ。神である主はこう語ります。「そんなにも偶像を拝みたければ拝むがいい。だが、そうするなら、わたしにささげ物を持って来るようなことはしてはならない。そのようなことをして、わたしの聖なる名を汚すようなことはやめよ。」

主はこう語ります。「わたしの聖なる山エルサレムで、全イスラエルはわたしを礼拝する。その所で、わたしはあなたがたを喜んで迎え、いけにえと最上のささげ物を求めよう。 わたしがあなたがたを捕囚から連れ戻す時、あなたがた自身がわたしにささげられた良い香りとなる。諸国の民はあなたがたの心に大きな変化が起こったことを知る。 さらに、わたしが約束した地に連れ戻す時、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。 その時、自分が犯した罪をことごとく思い起こし、その悪のゆえに自分自身を忌みきらうようになる。 その悪にもかかわらず、あなたがたを祝福することによって、わたしの名誉を守る時、イスラエルよ、あなたがたはわたしが主であることを知るようになるのだ。」

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