出エジプト記 17:1-16, 出エジプト記 18:1-27 JCB

出エジプト記 17:1-16

17

岩からの水

さて、主の命令に従って、イスラエルの民はシンの荒野をあとにし、レフィディムへ旅を続けました。ところが着いてみると、また水がありません。 再び、彼らの不満が爆発しました。「水はどこだ? 水をくれーっ!」彼らは騒ぎたてます。モーセは、「静かに! いいかげんにしなさい。いったいどこまで主が忍耐してくださると思っているのだ」と、彼らをしかりました。 しかし、のどの渇きに苦しむ彼らに効果はありません。「何だと? おまえこそ、なぜわれわれをエジプトから連れ出したんだ! 子どもたちや家畜もいっしょにこんな所まで連れて来て、あげくの果てに死なせようなんて、あんまりではないか。」

モーセは主に願いました。「どうしたらよいのでしょう。この人たちは、今にも私に石を投げつけて殺しかねない有様です。」

主はモーセに言いました。「長老たちを連れ、あなたが先頭に立ってホレブ山(シナイ山)まで人々を導きなさい。わたしはその岩の上であなたに会う。岩をあなたの杖、ナイル川を打ったあの杖で打ちなさい。すると水があふれ出て、みなに十分行き渡るだろう。」モーセが言われたとおりにすると、水が吹き出しました。 モーセはその場所を、マサ〔「主を試みる」の意〕、また、メリバ〔「議論」あるいは「争い」の意〕と名づけました。この場所で人々が、「主はわれわれを助けてくれるのか、どうなのか」と言い争い、主が自分たちを生かすかどうか試みたからです。

アマレクとの戦い

さて、アマレクの戦士たちがイスラエル人に戦いを挑もうと、レフィディムへやって来ました。 モーセはヨシュアに、アマレク軍と戦うために人々を召集するよう命じました。そして、「私は明日、神の杖を持って丘の頂に立つ」と言いました。

ヨシュアとその部下はアマレク軍と戦うために出て行き、一方、モーセとアロンとフルは丘に登りました。 モーセが手に持った杖を差し伸べている間は、イスラエル軍が優勢に立ちましたが、腕を下げるとアマレク軍が優勢になりました。 モーセの腕はしびれて、とうとう棒のようになってしまいました。もうこれ以上、杖を持っていることができません。アロンとフルは、石を転がして来てモーセを座らせ、両側に立って、日が暮れるまで二人がかりで彼の腕を支え続けました。 こうして、ヨシュアの率いるイスラエル軍は、アマレク軍をみごとに打ち破ったのです。

主はモーセに言いました。「このことを書き記して永遠に残る記録としなさい。いつまでも忘れないようにするのだ。またヨシュアに、アマレク人はわたしが完全に滅ぼし、記憶にさえ残らないようにする、と伝えなさい。」

モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ〔「主は私の旗」の意〕と呼びました。モーセは言いました。「主の旗を掲げなさい。こののち何代にもわたって、主がアマレク人と戦ってくださる。」

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出エジプト記 18:1-27

18

モーセを訪ねるイテロ

やがてモーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロのもとに知らせが届きました。神がご自分の民とモーセのために、どんなにすばらしいことをなさったか、どのようにしてイスラエル人をエジプトから助け出されたかを知らされたのです。

イテロは、家に帰されていたモーセの妻チッポラを連れ、モーセのところに来ました。 ゲルショム〔「外国人」の意〕とエリエゼル〔「神は私の助け」の意〕の二人の息子もいっしょでした。こういう名がついたのは、上の子が生まれた時、モーセが「私は外国をさまよう放浪者だ」と言い、次の子の時は、彼が「父祖の神は私を、エジプトの王の剣から助け出してくださった」と言ったからです。 一行が来たのは、ちょうど人々がシナイ山のふもとで野営していた時でした。

「私だ、イテロだよ。チッポラと孫たちを連れて、会いに来たのだ。」

イテロがそう伝えると、モーセは大喜びで迎えに出、あいさつを交わしました。さっそくその後の消息を尋ね合い、それからモーセのテントに入って、時のたつのも忘れるほど、心ゆくまで語り合いました。 モーセはイテロに、今までのことをくわしく話しました。イスラエル人を救うために、主がエジプトの王とその国民に何をされたのか、ここまで来る途中どんな問題が起こり、主がそれをどのように解決してくださったか話したのです。

イテロは、主がイスラエル人を心にかけ、エジプトから助け出してくださったことをたいへん喜びました。 「主はすばらしい。ほんとうにおまえたちをエジプトと王の圧制から救ってくださった。イスラエル人を助けてくださったのだ。 われわれの信じる主のように偉大な方は、ほかにいない。今度こそ、それがよくわかったよ。あの傲慢で残忍なエジプト人から、ご自分の民を救い出されたのだから。」

イテロは神にいけにえをささげました。そのあと、アロンやイスラエルの指導者たちも会いに来て、みなでいっしょに食事をし、神の恵みを感謝し合いました。

翌日、モーセはいつものように座って、朝から夕方まで人々の間の不平や訴えを聞いていました。 全く息つく暇もありません。モーセのあまりの忙しさに驚いたイテロが聞きました。「一日中こんなに大ぜいの人が、あなたに相談しにやって来るとは。どうして、この山のような仕事を一人だけで片づけようとするのか。」

「それは、難しい問題が起きると、みな私のところへ来て判断を仰ぐからです。裁判官のように、どちらが正しいか、どちらが間違っているかを決めたり、神様が求める生き方はどういうものかを教えたりします。みんなのために神のおきてを実際問題に当てはめて裁くのです。」

「うむ、それはよくない。 こんなやり方を続けていたら、あなたのほうがまいってしまうよ。もしあなたが倒れたら、みんなはどうなってしまうだろう。 何もかも一人で片づけるには、荷が重すぎるのではないかな。 余計なことかもしれないが、私の意見を聞いてもらえるだろうか。あなたはこの人たちの顧問弁護士のような存在になったらいいと思う。神様の前に立つ代理人になるのだ。彼らの問題を神様のもとに持って行って決定していただき、その決定を彼らに伝える。人々におきてを教え、正しい生活を送る原則を示すのだ。 そして、全員の中から有能な、神を敬う、わいろなど取らない正直な人物を探し、問題の処理に当たらせたらどうだ。千人につき一人そういう指導者を選び、その下に十人の責任者を置く。それぞれが百人の面倒を見る。さらにその下に、五十人の問題を処理する者を二人ずつ置き、その二人がまた、十人の相談相手になる者を五人ずつ受け持つ。 これらの人たちがいつでも問題の処理に当たって、正しく職務を果たせるようにするのだ。特に重要な問題とか難しい問題は、あなたのところへ直接持って来させるが、小さな問題は彼らに任せる。こうやって、少しずつ責任を分担すれば、あなたは今より負担が軽くなるはずだ。 どうだね、私の言うとおりにしてみないか。主も、きっと賛成してくださると思うが。そうすれば、どんな大変な仕事もやり抜けるだろうし、野営地の中も平穏になるだろう。」

モーセは、イテロの提案を受け入れることにしました。 すべてのイスラエル人の中から有能な人物を選び、指導者に任命しました。千人、百人、五十人、十人、それぞれのグループごとに指導者を置いたのです。 この人たちは、問題が起こればすぐ解決して、正しい判決を下すことができるようになっていました。難しい問題はモーセのところへ持って来ますが、小さな問題は自分たちだけで裁きました。

それからまもなく、しゅうとのイテロはモーセに別れを告げ、国へ帰って行きました。

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