申命記 16:21-22, 申命記 17:1-20, 申命記 18:1-22 JCB

申命記 16:21-22

神が憎まれるもの

あなたの神、主の祭壇のほかは、たとえどんな事情があろうとも、偶像を立ててはいけません。 石柱も同じです。主はそのどちらも憎まれるのです。

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申命記 17:1-20

17

病気や欠陥のある牛や羊は、主へのいけにえにできません。それらをささげるのは、主の忌み嫌われることです。

どの町であろうと、だれであろうと、私が固く禁じたにもかかわらず、主との契約を破り、ほかの神々、太陽、月、星などを拝んでいる者がいると聞いたら、 まず、うわさが事実かどうかよく調べなさい。事実であれば、 男だろうが女だろうが、町の外に連れ出し、石打ちによって殺しなさい。 ただし、一人の証言だけで死刑にしてはなりません。必ず二人か三人の証言を聞きなさい。 死刑と決まったら、初めに証人が石を投げつけ、続いて全員が手を下します。こうして悪の根を断ち切るのです。

法廷での判決

判断の難しい証拠が不十分な流血事件、人権侵害の問題などの場合は、聖なる場所に行き、 レビ人の祭司か、その時、任に就いている裁判官に上告しなさい。彼らが判決を下します。 その判決に不服を申し立てることはできません。 彼らの判決に従って、完全に実行しなさい。 主がお選びになった祭司や裁判官の判決に従わなければ死刑に処せられます。そのような罪人は、イスラエルから除き去らなければなりません。 きびしい罰を加えるのは、法廷を侮辱してはならないことを教えるためです。

王について

あなたの神、主が与えようとしている地を占領し、住みついて、ほかの国のように王が必要になったときは、 必ず主がお選びになる者を王としなさい。イスラエル人でない者は絶対に王になれません。 王は自分のために大きな馬屋を建てたり、馬を買いにエジプトへ部下をやったりしてはいけません。主が、『二度とエジプトへ帰ってはならない』と言われたからです。 大ぜいの妻をもってはいけません。主よりも妻のほうに心を奪われる危険があるからです。莫大な財産を蓄えるのもよくありません。

戴冠式を終え、王位についたら、レビ人の祭司が保管している原本から、これらの教えを書き写しなさい。 それをいつも手もとに置き、一生の間、毎日読みなさい。主のすべての戒めを守ることによって、主を大切にすることを学ぶのです。 毎日、規則的に読み続けていけば、民を見下したり、神のおきてからそれたりしません。長い間りっぱに国を治め、王位は何代のちまでも、子孫に受け継がれます。

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申命記 18:1-22

18

祭司とレビ人が受ける分

祭司とレビ人は、ほかの部族と違って土地がもらえません。彼らは、祭壇にささげられるいけにえやささげ物で生計を立てるのです。 主のものはみな頂けるのですから、相続地を受ける必要はありません。それが主のお約束です。

いけにえにする牛や羊の肩、頬、胃は、祭司に与えなさい。 祭司はそのほかに、収穫を感謝するしるしとしてささげられる穀物の初物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の毛の初物などももらえます。 主はすべての部族の中からレビ人を、代々主に仕える者としてお選びになったのです。

レビ人はイスラエルのどこに住んでいようと、いつでも聖所に来てかまいません。そこで仕えているほかのレビ人と全く同様に、彼らの神、主の御名によって仕事ができます。 そして同じように、いけにえやささげ物の分配も受けられます。貧しいからではなく、受ける権利があるからです。

異教の習慣に倣うな

約束の地に着いたなら、そこの住民の忌まわしい習慣に染まらないよう、くれぐれも注意しなさい。 自分の子どもを、異教の神々へのいけにえとして焼き殺すような者は死刑です。そのほか、魔術師、占い師、まじない師、蛇使い、霊媒師、魔法使い、呪術師も赦されません。 これらを行う者は、主に嫌われ憎まれます。ほかの国が滅ぼされるのもそのためです。 だからあなたがたは、主の前に正しく歩みなさい。 その地から追い払われる国々はみな、このような悪いことを行いましたが、それに倣ってはいけません。

預言者について

代わりに主は、イスラエル人の中から私のような預言者を起こされます。その預言者の言うことを聞きなさい。 これはあなたがたが願ったことです。あれは、ホレブ山(シナイ山)のふもとでした。あの時あなたがたは、『恐ろしくて生きた心地もしません。もう二度と主の恐ろしい声を聞かなくてすむように、山に燃え上がる火を見なくてすむようにしてください』と訴えました。

主は願いを聞き、私に言われました。『よろしい、言うとおりにしよう。 イスラエル人の中から、あなたのような預言者を立てよう。わたしが言いたいことはみな、その者に語らせる。 その者の言うことを聞かないような者は、わたしの教えをいいかげんに扱ったのだから、わたしが罰しよう。 しかし、預言者が自分の考えをわたしの教えのように見せかけて語ったり、ほかの神々の教えを語ったりしたときは、その預言者は死ななければならない。』

では、主の教えかそうでないか、どうすればわかるのでしょう。 預言どおりのことが起こらなければ、それはうそです。ただの偽りです。そんな預言者を恐れることはありません。

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