サムエル記Ⅱ 23:8-39, サムエル記Ⅱ 24:1-25 JCB

サムエル記Ⅱ 23:8-39

ダビデ軍の勇士たち

ダビデ軍の中で最強の英雄三人の名を挙げるなら、筆頭はハクモニの子ヤショブアムで、一度の戦いで八百人を倒した勇士です。

次は、ドドの子でアホアハ人のエルアザルです。彼も三勇士の一人で、ほかの者が逃げ出した時も、ダビデとともに踏みとどまってペリシテ人と戦いました。 彼は次々にペリシテ人を打ち倒し、ついに手が疲れて、剣を握ることもできないほどでした。主は彼に輝かしい勝利を授けました。残りの兵士が引き返して来た時には、戦利品を集めるばかりになっていたのです。

三人目は、ハラル出身のアゲの子シャマです。ペリシテ人が攻めて来た時、部下は彼を放って逃げ出しましたが、ただ一人レンズ豆畑の真ん中に踏みとどまって、敵を打ち倒したのです。こうして、主は大勝利をもたらしました。

ダビデがアドラムのほら穴に潜み、攻め寄せるペリシテ人がレファイムの谷に陣取っていた時のことです。ちょうど刈り入れのころ、イスラエル軍の精鋭三十人の中から、この三人がダビデのもとを訪ねて来ました。 当時、ダビデは要害に立てこもっていました。ペリシテ人の略奪隊がベツレヘム一帯を占領していたからです。 そんなダビデの口をついて出るのは、いつも、「ああ、のどが渇いた。ベツレヘムの井戸のうまい水が飲みたい」ということばでした。その井戸は町の門のわきにありました。 そこで三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き破って井戸へ行き、くんで来た水をダビデに差し出しました。しかしダビデは、とてもその水を飲む気にはなれず、主にささげて注いだのです。 ダビデは言いました。「主よ。どうしてこの水を飲めましょう。いのちをかけた人々の血ですから。」

この三人のほかに、ツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイも、非常に評判の高い人物でした。単身、三百人の敵を相手にして倒したこともありました。その武勲により、三勇士に負けないほどの名声を上げました。彼はイスラエル軍の幹部将校三十人の中では最もすぐれ、彼らのリーダーでした。

このほか、エホヤダの子でベナヤというカブツェエル出身の勇士もいました。ベナヤは、モアブの豪傑二人を倒しました。ある時は、つるつるに凍った雪道にもかかわらず、ほら穴に下りて行き、中にいたライオンを殺しました。 またある時は、杖一本で、槍を手にしたエジプト人戦士に立ち向かって倒しました。相手の手から槍をもぎ取って突き殺したのです。 これらの手柄で、ベナヤは三勇士のように有名になりました。 彼は、あの三勇士には及びませんでしたが、三十人の中で非常に評判の高い一人でした。ダビデは彼を護衛長に任じました。

ヨアブの兄弟アサエルも、三十人の一人でした。そのほかの顔ぶれは次のとおりです。ベツレヘム出身で、ドドの子エルハナン。ハロデ出身のシャマ。ハロデ出身のエリカ。ペレテ出身のヘレツ。テコア出身で、イケシュの子イラ。アナトテ出身のアビエゼル。フシャ出身のメブナイ。アホアハ出身のツァルモン。ネトファ出身のマフライ。ネトファ出身で、バアナの子ヘレブ。ギブア出身で、ベニヤミン部族リバイの子イタイ。ピルアトン出身のベナヤ。ガアシュの谷出身のヒダイ。アラバ出身のアビ・アルボン。バルフム出身のアズマベテ。シャアルビム出身のエルヤフバ。ヤシェンの子たち。ヨナタン。ハラル出身のシャマ。アラル出身で、シャラルの子アヒアム。マアカ出身で、アハスバイの子エリフェレテ。ギロ出身で、アヒトフェルの子エリアム。カルメル出身のヘツライ。アラブ出身のパアライ。ツォバ出身で、ナタンの子イグアル。ガド出身のバニ。アモン出身のツェレク。ツェルヤの子ヨアブのよろい持ちで、ベエロテ出身のナフライ。エテル出身のイラ。エテル出身のガレブ。ヘテ人ウリヤ。以上合わせて三十七人です。

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サムエル記Ⅱ 24:1-25

24

ダビデの人口調査

さて、主が再びイスラエルに怒りを燃やすようなことが持ち上がりました。ダビデはどうしたことか、人口調査をして国民を煩わせる思いに駆られたのです。主はその思いをそのままにしました。 王は、側近で軍の司令官であるヨアブに命じました。「わが国の北から南まで、くまなく全住民を登録させなさい。どれほどの国民をかかえているか知りたいからだ。」

ヨアブは答えました。「どうか、あなたの長らえます間に、主が現在の人口の百倍にも増やしてくださいますように。それにしても、王様がわざわざ国勢を誇示なさるには及ばないと存じますが。」

しかし、ヨアブの忠告も王のたっての願いには勝てず、ヨアブをはじめとする将校たちは、国の人口調査に出かけることになりました。 一行はまずヨルダン川を渡り、ガドの谷の真ん中にある町の南方、ヤウゼルに近いアロエルに野営しました。 それからタフティム・ホデシの地とギルアデを巡り、さらにダン・ヤアンに進んで、シドンの方に回りました。 その後ツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人の町をすべて行き巡り、ユダの南に広がるネゲブをベエル・シェバまで下りました。 こうして、九か月と二十日かかって、全国を行き巡り、この任務を終えたのです。 ヨアブは登録人数を王に報告しました。その結果、徴兵人口は、イスラエルで八十万、ユダで五十万とわかりました。

ところが、人口調査を終えたあと、ダビデの良心は痛み始めました。彼は主に祈りました。「私はとんでもない過ちを犯してしまいました。どうか、私の愚かなふるまいをお見逃しください。」

翌朝、主のことばが預言者ガドにありました。ガドは、ダビデと主との間を取り次いでいた人物です。主はガドに語りました。 「ダビデに告げよ。わたしが示す三つのうち一つを選べと。」

ガドはダビデのもとへ行き、こう尋ねました。「七年間にわたる全国的なききんがよいか、三か月間、敵の前を逃げ回るのがよいか、三日間、疫病に見舞われるのがよいか、一つを選んでください。よくお考えになって、主にどうお答え申し上げるべきかをご指示ください。」

ダビデは答えました。「こんな決断を下さなければならないとは、実につらい。だが、人の手に陥るよりは主の手に陥るほうがましだ。主のあわれみは大きいのだから。」

すると主は、その朝から、イスラエルに疫病をはやらせました。災いは三日間にわたり、国中で七万人もの死者が出ました。 死の使いがエルサレムに災いの手を伸ばそうとした時、主は事態をあわれんで、主の使いに中止するよう命じました。ちょうど主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のそばに立っていました。

この時、ダビデは天の使いに目を留め、主にこう言ってすがりました。「お願いです。罪を犯したのは、この私だけなのです。国民に罪はございません。どうか、お怒りを私と私の一家にだけお向けください。」

その日、ダビデのもとに来たガドは、「エブス人アラウナの打ち場に行き、そこに主の祭壇を築きなさい」と言いました。 ダビデは命じられたとおり出かけました。 アラウナは、王と家来の一行が近づいて来るのを見て駆け寄り、顔を地面にこすりつけんばかりにひれ伏しました。 「王様、またどうして、こちらにお越しくださったのでしょう。」

「あなたの打ち場を買い取り、主の祭壇を築きたいと思ってだ。そうすれば、この災いも終わらせていただけよう。」

「王様、どうぞ、何でもお気に召すままにお使いください。焼き尽くすいけにえ用の牛もおりますし、祭壇のたきぎの代わりに、どうぞ打穀機や牛のくびきを燃やしてください。 何にでもご用立てください。どうか主が、あなたのささげるいけにえをお受け入れくださいますように。」

「いやいや、ただで受け取るわけにはいかない。ぜひ、売ってもらいたい。何の犠牲も払わず、焼き尽くすいけにえをささげたくはないのだ。」

こう言って、ダビデは打ち場と牛とを買い取りました。 そして、主のために祭壇を築き、焼き尽くすいけにえと和解のいけにえとをささげたのです。主はダビデの祈りを聞き、疫病の流行はやみました。

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