列王記Ⅰ 6:1-38, 列王記Ⅰ 7:1-22 JCB

列王記Ⅰ 6:1-38

6

神殿の建設

ソロモン王が神殿の建設にかかったのは、即位後四年目の春のことでした。イスラエルの民が奴隷となっていたエジプトを出てから四百八十年後のことです。 神殿は、長さ六十キュビト(二十六・四メートル)、幅二十キュビト(八・八メートル)、高さ三十キュビト(十三・二メートル)。 正面の玄関は、幅二十キュビト、長さ十キュビトで、 全体に小さな窓が取りつけてありました。 神殿の壁の周囲には脇屋が作られました。 この脇屋は三階建てで、一階の幅は五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトありました。神殿の壁の外側に段を作り、その上にはりを置いて、脇屋と神殿をつなぎました。こうして、はりを神殿の壁に差し込まないようにしたのです。

神殿を建てるのに使った石は、石切り場で仕上げたものばかりでした。そのため、建築現場では、工事中も槌や斧、そのほかの道具を使う音はいっさい聞こえませんでした。

脇屋の一階に通じる入口は、神殿の右側にありました。二階に上るらせん階段があり、さらに、二階から三階に上るようになっていました。 神殿の完成が近づくと、王は、はりや柱はもちろんのこと、内部を杉材で覆って仕上げました。 先ほど説明したように、神殿の両側に脇屋がありましたが、それは杉材で神殿の壁に固定してありました。脇屋の各階の高さは五キュビトでした。

主は建築中の神殿について、次のようにソロモンに語りました。「わたしが言うとおりにし、わたしの命令を忠実に守るなら、あなたの父ダビデに約束したことを実行しよう。 わたしはイスラエルの民とともに住み、決して彼らを捨てない。」

そしてついに、ソロモンは神殿を完成しました。 神殿の内部は床から天井まで、レバノン杉の板を張り巡らし、床には糸杉の厚板を使いました。 神殿の一番奥にある長さ二十キュビトの部屋は「至聖所」と呼ばれます。至聖所も、床から天井までレバノン杉の板を張り巡らしました。 神殿の前の部分、すなわち前庭の長さは四十キュビト。 内部の石壁は全部、ひょうたん柄と花模様が浮き彫りにしてある、レバノン杉の板で覆いました。 奥の至聖所には、契約の箱を置きました。 至聖所は長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、壁と天井に純金をかぶせました。至聖所の祭壇もレバノン杉で作り、その祭壇も含め、神殿内部の残りの部分もみな純金をかぶせました。また、至聖所の入口を守るために、金の鎖を渡しました。

至聖所の中に、オリーブ材で作った二つのケルビムの像(天使を象徴する)を置きました。像の高さは十キュビトで、外側に広げた翼はそれぞれ一方の壁に届き、内側に広げた翼は、至聖所の真ん中で触れ合うようになっていました。それぞれの翼は五キュビト。どちらのケルビムも、一方の翼の先からもう一方の翼の先まで十キュビトありました。像はどちらも同じ寸法、同じ形で、共に純金をかぶせてありました。

至聖所もその手前の聖所も、壁にはケルビムの像、なつめやしの木、それに花模様が彫られていました。 至聖所も聖所も床は全部金で覆いました。

至聖所に通じる入口には、正五角形の柱を使いました。 二枚の扉はオリーブ材でできていて、その上にケルビム、なつめやしの木、花模様を浮き彫りにし、金を張りました。

それから神殿の入口にも、オリーブ材で四角形の柱を作りました。 糸杉材の二枚の折り戸がついていて、どちらも蝶つがいがついていて折りたためるようになっていました。 その表面にはケルビム、なつめやしの木、それに花模様が浮き彫りになっていて、入念に金が張ってありました。 内庭を囲む塀は、切り石を三段重ねた上に、レバノン杉の角材が一段重ねてありました。

神殿の土台がすえられたのは、ソロモン王の即位後四年目の五月で、 建て終わったのは、即位後十一年目の十一月でした。完成まで七年かかったことになります。

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列王記Ⅰ 7:1-22

7

宮殿の建設

それからソロモン王は、十三年かかって宮殿を完成させました。 宮殿の一室に「レバノンの森の間」と呼ばれる、長さ百キュビト(四十四メートル)、幅五十キュビト(二十二メートル)、高さ三十キュビト(十三・二メートル)の大広間がありました。天井には大きなレバノン杉のはりが、四列の杉材の柱の上に渡してありました。 三方の壁には、一列に五つずつ三列からなる計四十五の窓がありました。 どの扉も枠も、四角形の木でできていました。

ほかに「柱の間」と呼ばれる、長さ五十キュビト、幅三十キュビトの部屋がありました。その部屋には、ひさしのついた玄関がありました。

それから、王が訴訟を聞くための、「玉座の間」とも「裁きの間」とも呼ばれる部屋がありました。ここは、床から天井まで、部屋全体を杉材で張り巡らしてありました。

この部屋のうしろにある庭を取り囲むようにして、同じく杉材を張り巡らした、王の住まいがありました。またソロモンは、妻としたエジプト王の娘のために、自分のと同じ大きさの住まいを、宮殿の中に建てました。

建物はすべて寸法どおりに切りそろえられた、大きく高価な石で造られました。 土台の石は八キュビトから十キュビトもありました。 塀に使った大きな石も寸法どおりに切られ、その上にレバノン杉の角材を重ねました。 大庭の周囲の塀にも、三段の大きな切り石を使い、神殿の内庭や玄関のように、その上にレバノン杉の角材を重ねました。

神殿の器具の製作

ソロモンは、ヒラムという青銅細工の熟練工をツロから呼び寄せました。 彼の父親はツロの鋳造師でしたが、母親がナフタリ族の未亡人だったので、ユダヤ人の血が半分混じっていたのです。このヒラムが、王が求めるあらゆる仕事を行いました。

彼は、高さ十八キュビト、周囲十二キュビトで、中が空洞の二本の青銅の柱を鋳造しました。 柱の上に、青銅で鋳造した柱頭が載せられました。それはゆりの花の形をしていて、二つとも高さ五キュビトでした。その柱頭は、青銅の鎖で編んだ七組の格子細工の網と、網の上を二段に取り巻く四百個の青銅のざくろで飾られていました。ヒラムはこの二本の柱を、神殿の入口に立てました。右側の柱はヤキン(「設立する」の意)、左側の柱はボアズ(「力とともに」の意)という名をつけました。

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