歴代誌Ⅰ 4:9-43, 歴代誌Ⅰ 5:1-26 JCB

歴代誌Ⅰ 4:9-43

ヤベツは兄弟の中で最も重んじられていました。母が彼をヤベツ(「苦しみ」の意)と名づけたのは、出産の時にたいへんな苦しみを味わったからです。

ヤベツはイスラエルの神に祈りました。「どうか、私を大いに祝福し、私の働きを助けてください。私が行うすべてのことに御手を添えてください。すべての悪と災いからお守りください。」神はその願いをかなえてくださいました。

レカの子孫は次のとおり。

エシュトンの父メヒルの父となった、シュハの兄弟ケルブ。

エシュトンはベテ・ラファ、パセアハ、テヒナの父。

テヒナはイル・ナハシュの父。

ケナズの子はオテニエルとセラヤ。

オテニエルの子はハタテとメオノタイ。

メオノタイはオフラの父。

セラヤは、多くの職人が住んでいたので「職人の谷」と呼ばれた谷の住人の先祖ヨアブの父。

エフネの子カレブの子はイル、エラ、ナアム。

エラの子の一人はケナズ。

エハレルエルの子はジフ、ジファ、ティルヤ、アサルエル。

エズラの子はエテル、メレデ、エフェル、ヤロン。

メレデはエジプトのファラオ(王)の娘ビテヤと結婚しました。彼女は、ミリヤム、シャマイ、エシュテモアの先祖イシュバフの母となりました。

エシュテモアの妻はユダヤ人で、エレデ、ヘベル、エクティエルの母となりました。この三人は、ゲドル人、ソコ人、ザノアハ人の先祖となりました。

ホディヤの妻はナハムの姉妹で、生まれた子の一人はガルミ人ケイラの父となり、もう一人はマアカ人エシュテモアの父となりました。

シモンの子はアムノン、リナ、ベン・ハナン、ティロン。

イシュイの子はゾヘテ、ベン・ゾヘテ。

ユダの子シェラの子孫は次のとおり。

レカの父エル、マレシャの父ラダ、ベテ・アシュベアで亜麻布業を営む氏族、ヨキム、コゼバの氏族、ヨアシュ。ラヘムに帰るまでモアブの支配者であったサラフ。これらの名は古くから記録にとどめられていました。

これらの氏族は陶芸、庭園、植林の技術にすぐれ、王のために働きました。

シメオンの子はネムエル、ヤミン、ヤリブ、ゼラフ、サウル。

サウルの子はシャルム、孫はミブサム、曾孫はミシュマ。

ミシュマの子の一人が、ザクルの父で、シムイの祖父に当たるハムエル。

シムイには十六人の息子と六人の娘がいました。ところが、シムイの兄弟たちには、ユダの普通の家族に比べて子どもが少なかったのです。

彼らは、ベエル・シェバ、モラダ、ハツァル・シュアル、 ビルハ、エツェム、トラデ、 ベトエル、ホルマ、ツィケラグ、 ベテ・マルカボテ、ハツァル・スシム、ベテ・ビルイ、シャアライムに住んでいました。これらの町は、ダビデの時代になるまで、彼らの支配下にあったのです。

彼らの子孫は、エタム、アイン、リモン、トケン、アシャンおよびその周辺に住んでいました。中には、バアルのような遠方に住んでいた者もいます。これらのことは、系図に記録されています。

次に挙げるのは、家畜の群れを飼う牧場を捜し求めてゲドルの谷の東側まで旅をした、富める氏族の長です。

メショバブ、ヤムレク、ヨシャ、ヨエル、エフー、エルヨエナイ、ヤアコバ、エショハヤ、アサヤ、アディエル、エシミエル、ベナヤ、シフイの子ジザ。シフイから順次さかのぼると、アロン、エダヤ、シムリ、シェマヤに至ります。

彼らは、静かで平和そのものの良い牧場を見つけました。しかし、その地はハムの子孫のものでした。ユダ王朝のヒゼキヤ王の時、これらの氏族の長がこの地を襲って、ハムの子孫の天幕(テント)と家を破壊し、住民を殺してそこを奪ったのです。

後日、このシメオン族から出た侵略者たちのうち五百人は、イシュイの子のペラテヤ、ネアルヤ、レファヤ、ウジエルたちを指導者として立てセイルの山地に向かいました。 彼らはそこで、アマレク人の残党を打ち、そこに住みついたのです。

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歴代誌Ⅰ 5:1-26

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ルベンの子孫

イスラエルの長男はルベンでしたが、彼は父のそばめの一人と寝て、父の顔に泥を塗るようなことをしたので、長子の権利は腹違いの弟ヨセフのものになりました。それで公式の系図には、ルベンが長男として記されていないのです。

さて、ヨセフには長子の権利があったものの、イスラエルのうちで最も有力な部族の先祖になったのはユダでした。このユダ部族から君主が出ることになります。

イスラエルの子ルベンの子はエノク、パル、ヘツロン、カルミ。

ヨエルの子孫は、その子シェマヤ、孫ゴグ、曾孫シムイ。

シムイの子はミカ、孫はレアヤ、曾孫はバアル。

バアルの子はベエラ。ベエラはルベン族の長で、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルの捕囚として引いて行かれました。

彼の親族は氏族の長となり、公式の系図に記されています。

エイエル、ゼカリヤ、それにアザズの子、シェマの孫、ヨエルの曾孫のベラ。

これらのルベン人はアロエルに住み、ネボ山やバアル・メオンのような遠くに住む者もいました。

ヨエルは家畜を飼っていましたが、ギルアデの地で家畜が増えたので、その放牧地は、東の荒野の入口からユーフラテス川に及びました。

サウル王の時代に、ルベン人はハガル人と戦って勝ったのでギルアデ東部に移り、そこに住むようになりました。

ガドの子孫

ガドの子孫は、ルベン人の真向かいのバシャンに住み、サルカにまで居住範囲を広げました。

ヨエルが長で、その次にシャファム、そして、ヤナイとシャファテがいました。 その一族の七つの氏族の長は、ミカエル、メシュラム、シェバ、ヨライ、ヤカン、ジア、エベルでした。

ブズの子孫は、系図をたどると次のとおりになります。

ヤフド、エシシャイ、ミカエル、ギルアデ、ヤロアハ、フリ、アビハイル。

アブディエルの子、グニの孫アヒは、その一族の指導者でした。 一族は、バシャンの地のギルアデとその周辺、ならびにシャロンの牧草地全域に住んでいました。 彼らはみな、ユダの王ヨタムとイスラエルの王ヤロブアムの時代に、公式の系図に載せられました。

ルベン、ガド、マナセの半部族の軍隊のうちには四万四、七六〇人の、特に訓練された精鋭部隊がいました。 彼らはハガル人、エトル人、ナフィシュ人、ノダブ人と戦いましたが、 ひたすら神に信頼したので祈りが聞かれ、ハガル人とその連合軍をみごとに打ち破ることができました。 戦利品は、らくだ五万頭、羊二十五万頭、ろば二千頭、捕虜十万人にのぼりました。 敵軍の大半は神を向こうに回して戦ったため、戦場で倒れました。そこでルベン人は、のちに捕囚としてアッシリヤへ連れ去られるまで、ハガル人の領土に住みました。

マナセの子孫(半部族)

マナセの半部族は、このバシャンの地から、バアル・ヘルモン、セニル、ヘルモン山に至る各地に広がり、増えていきました。

その各氏族の長は次のとおり。

エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、エレミヤ、ホダブヤ、ヤフディエル。彼らはみな勇士で、すぐれた指導者としても知られていました。 ところが、彼らは父祖の神に忠誠を尽くさず、神が滅ぼされた国々の偶像を拝みました。 そこで神は、ティグラテ・ピレセル三世として知られるアッシリヤの王プルにこの地を侵略させ、ルベン族とガド族、それにマナセの半部族を捕囚として引いて行かせました。彼らはハラフ、ハボル、ハラ、およびゴザン川に移され、今なお、そこにとどまっています。

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