ローマ人への手紙 9 – JCB & CCBT

Japanese Contemporary Bible

ローマ人への手紙 9:1-33

9

ユダヤ人への神の約束

1-3私の同胞であるイスラエルの人々、同国人であるユダヤ人の人たちがキリストのもとに来ることを、私はどんなに望んでいるでしょう。昼も夜も、彼らのことで心は重く、悲しみのあまり、胸も張り裂けんばかりです。彼らがキリストによって救われるためなら、私は永遠にのろわれてもかまいません。むしろ、のろわれたいくらいです。口先だけでこう言っているのでないことは、キリストも聖霊もご存じです。 4神は実に多くのものを与えてくださいました。それなのに彼らは、いっこうに神に聞き従おうとしません。神はユダヤ人たちをご自分の特別な民として選び出し、栄光に輝く雲によって導き、また、どんなに祝福したいと思っているかをお示しになりました。さらに、生きる上でのさまざまな規則も与えてくださったので、彼らは、神が自分たちに何を望んでおられるかを知ることができました。神はまた、彼らに神を礼拝することを教え、数々のすばらしい約束を与えてくださいました。 5彼らの先祖には、神を信じる偉大な人物がいます。キリストも、人間としての出生についてだけ言えばユダヤ人であり、彼らの同胞だったのです。このキリストこそ、すべてのものを支配しておられる方で、永遠にほめたたえられる神です。

6それでは、ユダヤ人に対する神の約束は無効になったのでしょうか。そんなことはありません。ユダヤ人に生まれついた者がみな、真の意味でのユダヤ人だとは限りません。 7血筋の上でアブラハムの子孫だからと言って、真の意味でのアブラハムの子孫とは限りません。なぜなら、アブラハムにはイサクのほかにも子どもがいたが、神の約束が適用されるのは、イサクとその子孫だけであると聖書にあるからです。 8つまり、アブラハムの子どもが全部神の子なのではなく、神がアブラハムにお与えになった救いの約束を信じる人々だけが神の子どもなのです。

9神はアブラハムに、「来年の今ごろ、わたしはあなたとサラに男の子を授けよう」創世18・10と約束されました。 10-13それだけでなく、彼の息子イサクの場合にも同じことが言えます。その妻リベカがみごもって、ふたごを産もうとしている時、神はリベカに、「兄が弟に仕える」創世25・23とお告げになりました。「わたしはエサウではなく、ヤコブを祝福する」マラキ1・2-3とあるとおりです。神がこう宣言されたのは、彼らがまだ生まれてもおらず、まだ良いことも悪いこともしていなかった時のことです。このことからもはっきりわかるように、神は最初から決めておいたことを実行されたのです。彼らの行いによってではなく、神の意思と選びによって、すべてが決定されたのです。

14では、神は不公平なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。 15神はモーセにこう言われました。「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」出エジプト33・19 16したがって、神の祝福は、だれかがそれを得ようと決心したからとか、そのために努力したからといって与えられるものではありません。それは、神のあわれみによって与えられるものなのです。 17エジプトの王パロの場合は、その良い例です。神はパロにこう言われました。「あなたにエジプトの国を与えたのは、わたしの恐るべき力をあなたに示すため、それによって、世界中の人々が、わたしの栄光ある名を耳にするためである。」出エジプト9・16 18これでわかるように、神はみこころのままに、ある人々をあわれみ、ある人々を不従順な者とされるのです。

19「では、なぜ神は人々の不従順をお責めになるのでしょう」と、あなたがたは言いますか。「神のお考えどおりにしたのではありませんか」と。 20そんなことを言ってはなりません。神を非難するあなたは、いったい何者なのですか。造られた者が造った者に、「なぜ私をこのように造ったのですか」などと言ってよいでしょうか。 21ある人が粘土でつぼを作る時、その人は同じ粘土のかたまりを、一つは美しい花びんに、もう一つはふだん使いの容器に作り上げる権利を持っていないでしょうか。 22そのように、どう考えても滅びるしかないような人々に対して、怒りと力を示す権利が神にないとでも言うのですか。しかも神は、これまでずっと忍耐してこられたのです。 23-24同時に神は、ユダヤ人であっても外国人であっても、ご自分の栄光のために呼び出し、あわれみを与えることで、神がどんなに偉大な方かをすべての人に示す権利を持っておられます。 25聖書のホセア書に何と書いてあるか、思い出してください。神は、こう言っておられます。

「わたしは自分のために、

ほかの子ら(ユダヤ人以外の家系の者)を

見つけ出し、

だれからも愛されたことのない、

その子らを愛する。

26そして、かつては

『わたしの民ではない』と宣告された異教徒たちが、

『生ける神の子ら』と呼ばれるようになる。」ホセア2・23

27またユダヤ人については、預言者イザヤがこう語りました。

「たとえイスラエルの子どもの数が

海辺の砂のように多くても、

一握りの者しか救われない。

28主はおことばを完全に、しかもすみやかに、

地上に成し遂げられる。」イザヤ10・22

29イザヤはまた、ほかの箇所でこう語っています。

「神のあわれみがなかったら、

ユダヤ人はみな、

ちょうどソドムやゴモラに住む人々が

全滅したように、

一人残らず滅ぼされたに違いない。」イザヤ1・9

30では、どういうことになるでしょう。信仰によって与えられる神の救いを求めなかった外国人は、救いの機会を得ました。まさに、信仰による救いです。神は、信仰によって無罪とされる機会をお与えになりました。 31一方、ユダヤ人は律法を守ることによって、神の救いを追い求めようと努力したのに、それを得ることができませんでした。 32なぜでしょう。信仰によってではなく、行いによって救われようとしたからです。彼らは、キリストというつまずきの石につまずいたのです。 33このことについて、神は次のように警告しておられます。

「わたしはユダヤ人の通り道に、一つの岩を置く。

多くの者が、それ(イエス)につまずくであろう。

しかし、この方を信じる者は、

決して失望させられることがない。」イザヤ28・16

Chinese Contemporary Bible (Traditional)

羅馬書 9:1-33

上帝的選民

1我在基督裡說真話,絕無謊言。我被聖靈感動的良心可以作證, 2我心裡極為憂愁,痛苦不止! 3為了我的弟兄——我的同胞以色列人,即使我自己被咒詛、與基督隔絕,我也願意! 4身為以色列人,他們擁有上帝兒子的名分、上帝的榮耀、諸約、律法、聖殿敬拜和各種應許。 5蒙揀選的族長是他們的先祖,基督降世為人也是做以色列人。祂是至大至尊,永遠當受稱頌的上帝。阿們!

6當然,這並不表示上帝的話落了空,因為從以色列生的,不一定都是以色列人, 7亞伯拉罕的後裔不一定都是亞伯拉罕的兒女,聖經上說:「以撒生的才可算為你的後裔。」 8這話的意思是:亞伯拉罕憑血氣所生的兒女並不是上帝的兒女,只有憑應許所生的才算是他的後裔。 9因為上帝曾這樣應許他:「明年這時候,我會再來,撒拉必生一個兒子。」

10後來,利百加和我們的先祖以撒結婚,懷了雙胞胎。 11在這對孩子還未出生,還沒有顯出誰善誰惡之前,上帝為了顯明自己揀選人並不是按人的行為,而是按祂自己的旨意, 12便對利百加說:「將來大的要服侍小的。」 13正如聖經上說:「我愛雅各,厭惡以掃。」

14這樣看來,我們該怎麼下結論呢?難道上帝不公平嗎?當然不是。 15祂曾對摩西說:

「我要憐憫誰就憐憫誰,

要恩待誰就恩待誰。」

16可見這並不在於人的意志和努力,而在於祂的憐憫。 17聖經記載著上帝對法老說的話:「我使你興起是為了在你身上彰顯我的權能,使我的名傳遍天下。」 18總之,上帝要憐憫誰,就憐憫誰;要叫誰頑固,就叫誰頑固。

上帝的烈怒和憐憫

19這樣,你肯定會對我說:「為什麼上帝還指責人呢?誰能抗拒祂的旨意呢?」 20你這個人啊!你是誰啊?竟敢頂撞上帝!受造之物怎能對造物主說:「你為什麼把我造成這樣?」 21陶匠難道不可以從一團泥中拿一部分造貴重的器皿,又拿一部分造平凡的器皿嗎?

22倘若上帝要顯示祂的烈怒和權能,就儘量容忍那些祂預備要毀滅的器皿, 23以便在那些祂憐憫並預備賜予榮耀的器皿上彰顯祂豐盛的榮耀,這難道不可以嗎? 24那些蒙憐憫的器皿就是我們這些從猶太人和外族人中被上帝呼召的人。 25正如上帝在《何西阿書》上說:

「本來不是我子民的,

我要稱他們為『我的子民』;

本來不是我所愛的,

我要稱他們為『我所愛的』。

26從前我在什麼地方對他們說,

『你們不是我的子民。』

將來也要在那裡對他們說,

『你們是永活上帝的兒女。』」

27關於以色列人,以賽亞先知曾疾呼:

以色列人雖多如海沙,

但得救的只是剩餘的人,

28因為上帝要在世上迅速、

徹底地執行祂的判決。」

29以賽亞又說:

「若不是萬軍之主給我們存留後裔,

我們早就像所多瑪蛾摩拉一樣滅亡了。」

以色列人和福音

30這樣看來,我們該說什麼呢?本來不追求義的外族人卻因信而得到了義。 31以色列人靠遵行律法追求義,卻徒勞無功。 32為什麼會這樣呢?因為他們不憑信心,只靠自己的行為去追求義,結果就在那塊「絆腳石」上跌倒了。 33正如聖經上說:

「看啊!我在錫安放了一塊絆腳石,

一塊使人跌倒的磐石。

但信靠祂的人必不致蒙羞。」