コリント人への手紙Ⅰ 7:36-40

しかし、もし高まる感情を抑えるのがむずかしいので結婚すべきだと考える人がいれば、それも結構です。罪ではありません。そういう人は結婚しなさい。 しかし、もし独身でいるだけの意志力をもち、自分は結婚する必要もないし、むしろしないほうが良いと考えるなら、その決心はりっぱです。 つまり、結婚する人は良いことをしているのであり、結婚しない人は、もっと良いことをしているのです。

妻は、夫が生きている間は夫の一部です。夫が死ねば、再婚してもかまいません。ただし、その場合、相手はキリストにしっかりつながっている者に限ります。 けれども私の考えでは、もし再婚しないでいられるなら、そのほうがはるかに幸せでしょう。神の聖霊からの助言をいただいて、私はこう言うのです。

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コリント人への手紙Ⅰ 8

偶像への供え物を食べる?

次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。この件については、だれもが自分の判断は正しいと思っています。しかし、自分の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは愛です。 もし、自分はどんな問題にも答えられると思い上がっている人がいたなら、それは、自らの無知をさらけ出しているにすぎません。 しかし、ほんとうに神を愛している人は、神に知られているのです。 では、この問題はどうなるでしょう。偶像に供えた肉を食べてもよいのでしょうか。私たちはみな、偶像など実際には神ではなく、神様はおひとりだけで、ほかにはいないことを知っています。 ある人は、偉大な神々は天にも地にも数多くいると考えています。 しかし私たちは、父なる神ただおひとりであることを知っているのです。この神様が万物を創造し、人間をご自分のものとして造られたのです。また私たちは、ただ一人の主、イエス・キリストがおられることを知っています。この方がすべてのものを造り、私たちにいのちを与えてくださるのです。

けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。そういう人はこれまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べることがひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。 ただ、このことを覚えておいてください。神様は、私たちがそれを食べるか食べないかなど気にかけておられません。食べなくても損にはならないし、食べても得をするわけではありません。 ただし、いくら自由といっても、あなたがたがそれを食べたために、あなたがたよりも良心の傷つきやすいクリスチャンがつまずかないよう、くれぐれも注意してください。

あなたが、偶像への供え物を食べても別に害にはならないことを知っていて、偶像の神殿の中で食事をしたとします。しかしそれを、食べてはいけないと思っている人が見たら、どう思うでしょうか。その人は、偶像崇拝してもよいのだと勘違いして、自分もそれを食べてしまうかもしれません。 すると、それを食べても差しつかえないことを知っていたあなたは、傷つきやすい良心を持った兄弟に、信仰上の大きな損害を与えてしまうことになります。キリストは、その兄弟のためにも死んでくださったのです。 ある行為を悪いと信じている兄弟が、あなたがたのふるまいに刺激されてその行為をしてしまうなら、あなたがたはその兄弟に罪を犯し、同時にキリストに対しても罪を犯すことになるのです。 ですから、もし偶像に供えた肉を食べることで兄弟をつまずかせるなら、私は一生それを食べません。

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